【披講を終えて】 田中 耕司 今回は百十四作品が寄せられました。その数が多いのか少ないのかはともかくとして、私は一つの区切りとして、百句を超えたのは第一段階を超えられたのではないかと思っております。
その結果、「第八回東京自由律俳句会大賞」には二句が選ばれました。その得票は十七ポイントでした。
十七ポイントが多いのか少ないのかも意見の分かれるところでしょうが、全体のレベルが高くなっているからであると思います。また、そうでなければいけないのだと思います。前置きが長くなりました。
それでは、作品を見ていきます。先ずは大賞同点二句。
満月 手をピストルにしてあなたを撃つ 南家歌也子 南家作品は、六名の特選を得ています。それだけ強い印象を受けたのでしょう。満月の神秘性とからめての評が多かったようです。 この句の、一字明けについてもう少し時間をかけて意見を交換したかったのですが、それほど問題となるような使い方ではないというのが大勢だったようです。
「手をピストルにする」という作品は過去にあるので手を出したくなかったとの指摘がありました。すべての作品を知るのは不可能ですし、同じ様な言葉の並びの句があっても発想が違えば問題はないと思います。
それよりもちょっぴり男と女の愛憎があって、しかもそれをユーモアをもって深刻にしていないところに魅力があり、満月にはこのような魔力もあることを皆さん感じたのが高得点の原因だと思います。
一人を独りと書いてしまいそうな月夜 渥美ゆかり 渥美作品の特選は三名でした。同じポイントですから、賛成者の数ではこちらのほうが多いという結果でした。
「絶対に残したい日本の文化」と言う特選の評がありましたが、非常にうまい使い方であると感じましたし、そこが賛成者の多くに共通した受け取り方だったのではないかと思います。女性らしい作品だなと思っていましたが、別に女性でなくても通じる作品だと思うようになりました。それが何に起因するのかは分かりませんが、正直な句作がそうさせるのだと思います。
秋らしく、月を題材としていながら全く違う表現で一句を構成している。南家作品の、「一字空け」、渥美作品の「一人を独り」、この二句には、音で聞いたのでは理解できない、活字や描いたものを見なければ理解できないという共通の弱点があります。この弱点を克服するために現在の我々には、不断の努力が求められています。ここに自由律俳句の大きな可能性があるのだと確信をしました。
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posted by 東京自由律俳句会 at 18:57|
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第8回
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